10年は1度きり、みんな「幸福」であって欲しい。

幸福とはこういうものだと言いたいわけではありません。タイトルにある「幸福」という文字にはみんな幸福であって欲しいという願いが込められています。

「幸福写真」を撮りましょう。

石巻に居着いてしまった写真家と一緒につくる「幸福を願う写真展と写真集」。このプロジェクトを通して、遠く離れたみなさんとも心の距離は近い「ご近所さん」のようになれたら嬉しいです。

幸福な瞬間をみんなでつくって残そう。


【実行委員長の想い】 〜私、けいちゃんの写真が見たい!〜
はじめまして実行委員長の遠藤綾子(りょうこ)です。

震災後、石巻を中心に写真を撮り続けたカメラマン・平井慶祐の写真を届けたいと思っています。人懐っこい彼は地元の皆から「けいちゃん」と呼ばれ、愛されています。

2020年12月5日@チームわたほい基地にて

私は、宮城県石巻市の渡波(わたのは)地区にあった避難所のメンバーが立ち上げた任意団体「チームわたほい」のお手伝いをしています。かつて我々の家があった場所にはコンテナハウスと木製の遊具を設置してもらい、避難所時代の仲間や地域の人と一緒に餅つきなどの集まりを催してきました。

2019年12月14日 / 避難所時代の仲間や昔のご近所さんや震災後に出会った人たちも集まる毎年恒例の「わたほい餅つき大会」

支援団体の記録広報係として活動していたけいちゃんと、「被災者」になったばかりの私たちが出会ったのは、小さな避難所でした。彼はもくもくと片付けを手伝い、空虚な励ましはせず、焚き火の近くに腰掛けて皆の話を聞き続けました。

2013年8月10日 遠藤綾子撮影@わたほい夏祭り

やがて避難所が閉鎖し、我々が仮設住宅などに移った後もけいちゃんは石巻に残り、集まりがあると遊びに来て、相変わらず雑談に混じっては時折カシャカシャと写真を撮って帰る「友人」となっていきました。。

2012年7月23日 @写真展「渡波のひとたち」/ 津波のあと仮リフォームをした美容室にて

けいちゃんが、渡波の被災した美容室で写真展を開催していると聞いて見にいったのは2012年の夏。応急的に修復した壁に麻紐やクリップで下げたり貼ったりした震災直後の写真たち。つらい時期が写っていることに対する不安は、写真を眺めて笑い合う元ご近所さんたちの姿に吹き飛びました。手伝っているボランティアの若い面々、展示を見に来た知人と話し込むパーマ中のおばちゃん、「あんだ写ってたよ!」と聞いて連れてこられた知り合いの知り合い。

2012年7月23日 @写真展「渡波のひとたち」/ 自分の写っている避難所の再出発式の写真に照れながら

そして、その場でまた撮ってもらったプリントを持ち帰る人の嬉しそうな顔を、私は今も忘れることができません。私も故郷から訪れていた両親とギューっとくっついて大笑いしながら撮影してもらいました。その時の写真を、母は今も台所の、ふと顔を上げると見える場所に貼っています。

2012年7月28日 写真展「渡波のひとたち」/ 実行委員長の綾子さんとご両親

けいちゃんは、以前写真を撮ってもらった夫がふとつぶやいた「オレってこんな顔してたんだ」という言葉が印象的だったと話します。私が小さな写真展で感じたことも同じ。彼の切り取った瞬間には、何気ない日常の中で人々が見せる豊かな表情が写されていたからです。

真っ暗な時間を共にすごした仲間だからこそ見える小さな明かり。歯を食いしばってきた人に訪れた穏やかなひととき。私たちはたくさんの写真を失ったし、見返すのがつらいものもあるけれど、写真って大切なものだと思い出す最初の機会となりました。

けいちゃんの写真が見たい。まだ知らない写真が見てみたい。私だけでなくたくさんの人に見てもらいたい。そして、それを眺めながら大切な人たちと一緒にほろりとしたり、笑ったりして、あたたかい時間を皆ですごしたい。

私の願いはこうして募っていったのです。

あっ、けいちゃんには悪いけれど、もしかしたら一番見たいのは、彼の写真を見ている皆の顔なのかもしれません。でも私は知っています。けいちゃんはきっとそんな景色も嬉しそうにカメラに収めるだろう、と。


キッカケは人生初の「果たし状」〜
はじめまして、石巻在住の写真家 平井慶祐(ひらいけいすけ)です。

写真を撮り始めてから20年、震災後に石巻に移り住んでからもうすぐ10年。そんな僕が2020年の3月末、まさか人生初の「果たし状」を受け取ることになろうとは思ってもいませんでした。

綾子さんが我が家の玄関の扉をちょっとだけ開けて「けいちゃんにこれを渡したくて」と手渡されたのがこの果たし状です。花をつけたばかりの桜の小枝が添えられていました。

2020年3月30日

「果たし状」の文字にクスっとなったと同時に、読んだ瞬間全身に鳥肌が立ち、涙が溢れそうになってしまいました。写真家人生の中で一番嬉しかった瞬間だと思います。

今は石巻でお家を借りて住みながら、水産業の写真を中心に写真や映像をつくっていますが、大学卒業後にはじめて一眼レフカメラを手にとって以来、世界のあちこちに顔を出してはシャッターを押してきました。ネパール、カンボジア、南アフリカ、内モンゴル、世界中どこに行っても撮らせて貰った人たちに写真をプリントして渡しに行くというのが僕のライフワークです。

突然の再訪にビックリしながらも、写真を渡したときに喜んでくれてグッと心の距離が近くなるあの瞬間。人見知りだった僕が、言葉が通じなくてもへっちゃらだと思えるようになった写真の力。

過去にはなかなか探し出せずに数年越しにやっと本人に渡せた写真もありますが、そんな再会の瞬間は、なおさら僕の人生にとっての大切な宝物です。そうやって「撮らせて貰って渡しにいく」を繰り返すうちに言葉も人種も境遇も越えて「友人」になることができるということを何度も実感していきました。

2011年4月25日@石巻市渡波 / 重たい支援物資を住民さんと一緒に運ぶボランティア

災害ボランティアの記録広報班として石巻で活動していた間も、今までの経験を活かして撮らせて貰った写真を毎日のように写真屋さんでプリントして渡しにいっていました。「あらまぁ!お兄ちゃんありがとうね。ご飯でも食べていきなさい」とか「男前に写ってるなぁ。写真一枚も無くなったからやぁ。はっはっは!」なんていいながら、家の片付けの手を止めて目を細めながら喜んでくれるみんなの顔は今でも忘れられません。

2011年 / 避難所で出会った顔なじみのみなさん

そのまま2012年に石巻に移住したあと、最初はお金も仕事も無かったけれど健康で大きな不安も無く生きてこられたのは写真がキッカケで出会ったこの街の人たちの優しさのおかげです。家にお邪魔すると「なんにも無いけど」と言いながら大量に出てくる作り置きのおかず。「ちょっと持ってけ」と言いながらズシっと渡される海産物の量。そして、お家の玄関や壁に僕の撮らせて貰った写真を飾ってくれているのを見つける度になんとも言えない嬉しさがこみ上げてきます。

そろそろ10年。気づけばあのとき「被災者とボランティア」の支援する側と支援される側だった関係は、いつの間にかお互い様の「ご近所さん」へと変わっていました。

今でも忘れられないエピソードがあります。しばらくぶりに避難所時代の仲間が集っているところで、綾子さんの夫の伸一さんが震災から間もない頃の自分の写っている写真を見て、驚いたような様子で「オレってこんな顔してたんだ」と言ったんです。

2011年10月10日 @渡波保育所 / 避難所が閉鎖される前日、再出発式の日の遠藤伸一さん

僕にはその言葉が「あんなタイミングで、こんな顔ができていたんだ!知らなかった」に聞こえたんですね。僕はただ写真を撮らせて貰って渡しただけなのに、伸一さんの様子は過去の自分自身の姿に勇気づけられたようにも見えました。そのあと周りにいたみんなが寄ってたかって、当時の写真を見ながら昔話に花を咲かせていた姿を今でも思い出します。当時、写真家としてこの街でシャッターを押し続ける意味や、役割をうまく見つけられずにモヤモヤしていた心がストンと落ちた気がしました。

やっぱり、「写真を喜びを増やす道具として使おう」

あのとき感じた気持ちは今でも僕の心のど真ん中にあります。

(左上)漁師の母子 / (左下)再出発式でホロリと流れる涙 / (右)みよちゃんのお家で

実行委員会で写真展の準備を進めるうちに、10年は1度きりしかやってこないからなにか形に残せるといいなぁ。という話が持ち上がってきました。確かに10年目の3月11日が、イベントのように過ぎ去ってしまうよりも「手に取れるカタチ」になったら?と想像するとワクワクしてきました。

今を記録して残しておきたい。

すでに撮影ははじまっています。先日も「県外に出ている人もいるんだけど、同級生で一緒に撮りたいんです。夏頃になんとか日程を調整して撮れないかな?」という相談があったり、仲の良い漁師さんから「暖かくなったらおじいさんもおばあさんも出てきて貰ってうちの船でみんな一緒に撮りたいなぁ」なんていうアイディアも出て来たりしています。

誰と?どんな場所で撮ろう?想像するだけでもワクワクしませんか?

クラウドファンディングのリターンの中には、写真集の中に収録される記念撮影チケットも含まれています。出来上がった写真集が本屋さんに並んだときに、写っている人たちが「ちょっと照れくさいけれど嬉しい」と思ってくれたら最高です。